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カインとアベル 創世記4章1~26節 2024/10/27

カインとアベル 創世記4章1~26節 2024/10/27 赤塚教会礼拝説教

聖書―創世記4章1~26節
(はじめに)
 カインとアベルの話。これは聖書の中でもよく知られている話の一つです。この二人は最初の人間として聖書に書かれているアダム、そして、その妻エバの間に生まれた子供たちでした。1、2節にこのようなことが書かれています。
4:1 さて、アダムは妻エバを知った。彼女は身ごもってカインを産み、「わたしは主によって男子を得た」と言った。4:2 彼女はまたその弟アベルを産んだ。アベルは羊を飼う者となり、カインは土を耕す者となった。
 この「知った」というのは、アダムとエバが夫婦という関係になった、ということです。しかし、この「知る」というのは、ただお互いを夫婦として、男、女という異性として知るというだけのことではありません。人格的に知る、人として知るという意味でもあるのです。夫婦という関係、親子関係、また友人関係、そういった関係は「知る」ということが大事です。そして、私たちにとっては、神さまとの関係についても、「知る」という関係、神さまとの人格的な関係を築くことは大事なことです。

(聖書から)
 2節には、兄のカインは土を耕す者、農耕の仕事、弟のアベルは羊を飼う者、牧畜の仕事、それぞれの仕事に就いたことが書かれています。彼らは神さまに献げ物をします。3節以下に、そのことが書かれています。
4:3 時を経て、カインは土の実りを主のもとに献げ物として持って来た。4:4 アベルは羊の群れの中から肥えた初子を持って来た。主はアベルとその献げ物に目を留められたが、4:5 カインとその献げ物には目を留められなかった。カインは激しく怒って顔を伏せた。
 カインは土の実りを神さまに献げました。一方、アベルは羊の群れの中から肥えた初子を献げました。それぞれの仕事で得た収穫を神さまに献げました。カインとアベルの献げ物について、このようなことが書かれていました。「主はアベルとその献げ物に目を留められたが、カインとその献げ物には目を留められなかった」(4、5節)。カインとアベル、どちらも神さまに献げ物をしたのに、どうして、一方には目を留められ、一方には目を留められなかったのでしょうか?その理由は何も書かれていません。ただ新約聖書には、このことについて触れている箇所がありますので、その個所を読んでみたいと思います。ヘブライ人への手紙11章4節です。
11:4 信仰によって、アベルはカインより優れたいけにえを神に献げ、その信仰によって、正しい者であると証明されました。神が彼の献げ物を認められたからです。アベルは死にましたが、信仰によってまだ語っています。
 ここには、はっきりとその理由が書かれています。「信仰によって、アベルはカインより優れたいけにえを神に献げ」た、ということです。この短い言葉から、二つのことを考えることができます。一つは「アベルはカインより優れたいけにえを神に献げ」た、とありました。その献げ物そのものがアベルの方が優れたものを献げたのだ、というのです。もう一度、今日の箇所、創世記4章3、4節を見てみますと、「カインは土の実りを主のもとに献げ物として持って来た。アベルは羊の群れの中から肥えた初子を持って来た」とありました。カインの献げ物についてはあっさりと書かれているように思えないこともありません。アベルについては「羊の群れの中から肥えた初子を」とあります。自分の持っているもの、得たものの中から、肥えたもの、初子、良い物を献げた、ということが言われているようです。新改訳聖書では、このように訳されています。「アベルもまた彼の羊の初子の中から、それも最上のものを持って来た」(創世記4章4節・新改訳第三版)。「最上のもの」、こういう違いがあったのでしょうか?
 もう一つ、考えられることは、「信仰によって」ということです。「信仰によって、アベルはカインより優れたいけにえを神に献げ」た、ということです。献げ物自体の良し悪しということではなくて、「信仰によって」ということ、つまり、献げる者自身が信仰によって献げたかどうか、ということが言われているのです。
 信仰によって献げる。私たちは、神さまに献金を献げます。それは、信仰によって献げます。信仰によって献げるとは、神さまの救いの恵みに対して、ありがとうございます、感謝します、という心で献げるということです。つまり、信仰とは、恵みの応答なのです。献金だけではありません。奉仕も、伝道も、すべて、神さまの恵みに対する応答として行うのです。
 カインとアベルの献げ物について、神さまはなぜ、アベルの献げ物には目を留められたか、カインの献げ物には目を留められなかったか、続いて考えてみたいと思いますが、この後のカインの態度が気になります。「カインは激しく怒って顔を伏せた」(5節)。顔を伏せる、とはどういうことでしょうか?カインに対して、神さまは語りかけられます。その個所を読んでみましょう。
4:6 主はカインに言われた。
「どうして怒るのか。どうして顔を伏せるのか。4:7 もしお前が正しいのなら、顔を上げられるはずではないか。正しくないなら、罪は戸口で待ち伏せており、お前を求める。お前はそれを支配せねばならない。」
 神さまはカインにこのように尋ねています。「どうして」という言葉が繰り返されています。よくテレビに出演されていた教育評論家の先生がおられました。教育の現場で長く働きをされてきた方です。この方は、子供が何か悪いことをしてしまった、問題を起こしてしまった時、頭ごなしに叱るのではなく、「どうしたの?」と声をかけるのだ、ということをお話なさっていました。「どうしたの?」。それはあなたのことを心配しているよ、気にかけているよ、と言っているように思えます。
 神さまはカインに「どうして」と言われます。神さまはここでご自分がカインの献げ物に目を留められなかった理由については述べてはおられません。でも、神さまはカイン自身に目を留められたのです。カインがどうして怒るのか、なぜ、顔を伏せるのか。カインの心、気持ちを知られます。7節にはこのようなことが書かれていました。「もしお前が正しいのなら、顔を上げられるはずではないか。正しくないなら、罪は戸口で待ち伏せており、お前を求める。お前はそれを支配せねばならない」。正しいか正しくないか。神さまは答えを出しておられません。むしろ、神さまはカインにその答えを自分で考えて出すようにされているようです。神さまはカインがどのような思いで献げ物をしたかは知っておられたと思います。でも、神さまはそのことを口に出すことはなされず、カインの心に語りかけておられるのです。「カインよ、あなたは分かっているだろう?」とおっしゃっておられるようです。このような神さまのカインに対する言葉からは、神さまがどんなにカインを気にかけておられるか、愛しておられるか、知らされるのではないでしょうか。
 神さまがカインに言われた言葉の中に「もしお前が正しいのなら、顔を上げられるはずではないか」とありました。顔を上げる。これはカインの態度と反対のことです。カインは自分の献げ物が目に留められなかったことで顔を伏せてしまいました。顔を伏せる。顔を上げる。これがカインの神さまに対する態度です。顔を伏せる。神さまに心を閉ざしてしまう。一方、顔を上げる、というのは、神さまに心を開く。この顔を上げるという言葉は「声を上げる」とも訳すことができる言葉です。神さまは、カインにどうして、と言われたように、カインもまた、神さまに対して、どうして、私の献げ物に目を留めてくださらなかったのですか?と神さまに声を上げることができたはずです。神さまに問い、尋ねることもできたはずです。しかし、それができなかった、それをしなかった。その結果が8節です。
4:8 カインが弟アベルに言葉をかけ、二人が野原に着いたとき、カインは弟アベルを襲って殺した。
 人類最初の殺人と言われる出来事が起きてしまいました。カインはアベルを殺した。カインにとってアベルは自分を脅かす存在。アベルは神さまに認められ、自分は認められなかった。それはアベルがいるからだ。アベルなんかいなくなればいいのに!その存在を無きものにしたい。アベルに対して、妬み、怒り・・・。神さまはこのようなことを野放しにされたのだろうか?というと、そうではありませんでした。カインに語りかけ、呼びかけ、対話を求められたのです。「顔を上げよ、声を上げよ。そして、私に聴きなさい。私に尋ねなさい」。しかし、彼はそれに応じなかった。自分で結論を出してしまったのです。
 神さまはアベルの死を知られ、このように言われました。「何ということをしたのか」(10節)。それは神さまの悲しみの声です。アベルの死を悲しみ、そして、アベルを殺してしまったカインの罪に悲しむ神さまの悲痛な声です。神さまが与えてくださった大切な命を奪ってしまった。それは神さまの悲しみです。私たちは実際に人を手にかけて殺すということはしないかもしれません。けれども、心で殺す、ということはどうでしょうか?あの人なんかいなくなればいい!そのようなことを思ってしまったり、考えてしまったりすることはないでしょうか。これも神さまの前には罪なのです。
 神さまはアベルの献げ物とは異なり、カインの献げ物には目を留められませんでした。しかし、それはカインその人に目を留められなかった。カインという人間を愛されなかったということではありません。カインが怒っている、顔を伏せている。そのカインに目を留められ、語りかけられたのでした。「顔を上げよ、声を上げよ、私と語り合おうではないか」。神さまはカインに交わりを求められました。しかし、カインは拒絶したのです。
4:13 カインは主に言った。
「わたしの罪は重すぎて負いきれません。4:14 今日、あなたがわたしをこの土地から追放なさり、わたしが御顔から隠されて、地上をさまよい、さすらう者となってしまえば、わたしに出会う者はだれであれ、わたしを殺すでしょう。」
 カインは自分がどんなに大きな罪を犯してしまったのかに気づきます。カインはこう言っています。「わたしの罪は重すぎて負いきれません」。それまで、カインは自分の罪の自覚というものはありませんでした。自分を出し抜こうとしたアベルが悪い。あるいはえこひいきした神が悪い。自分は悪くない。あの人が、この人が、神が悪い。しかし、カインは再び、神さまの声を聴きます。神さまが一人の命が失われたことを悲しみ、また自分が罪を犯してしまったことを悲しむその声を聴いた時、カインはそこで初めて我に返った、自分に向き合わされ、自分の罪に気づいたのです。「わたしの罪は重すぎて負いきれません」。
 14節を見ますと、そこにはカインの恐れ、人を恐れる様子が書かれています。「今日、あなたがわたしをこの土地から追放なさり、わたしが御顔から隠されて、地上をさまよい、さすらう者となってしまえば、わたしに出会う者はだれであれ、わたしを殺すでしょう」。愛には恐れがない、と聖書にありますが、反対に、罪は恐れそのものです。人を恐れて生きる。いつもビクビクして生きていかなければなりません。殺した私もいつの日か、殺されるだろう。神さまはカインに語られます。
4:15 主はカインに言われた。
「いや、それゆえカインを殺す者は、だれであれ七倍の復讐を受けるであろう。」主はカインに出会う者がだれも彼を撃つことのないように、カインにしるしを付けられた。
 神さまはカインにしるしを付けられました。それは「カインに出会う者がだれも彼を撃つことのないように」ということで付けられたしるしでした。このカインに付けられたしるしについて、ある牧師先生は、このしるしは、私たちにとっては十字架を示している、と言われました。罪を犯してしまったカイン。主は、カインを裁き、滅ぼすことはしませんでした。むしろ、しるしを付けることで、カインを守ったのです。この後の16、17節以下などを見ていただきますと、そのカインに住む所を与え、家族を与えられたことも書かれています。それはカインが神さまから赦された人生を生かしていただいていた、ということではないでしょうか。
 これは私たちも同じです。神さまに愛され、赦されて生きる。そこで知ることはただ感謝することだけではないでしょうか?カインは、自分が神さまに愛され、赦されたことを知って、そこで初めて、神さまの目に留められる献げ物を献げる者、つまり、信仰によって献げる者となったのではないでしょうか?神さまを信じる人生、それは、神さまの恵み、愛と赦しに応える人生です。

(むすび)
 アダムとエバの間には新たに子供が与えられます。その個所をお読みして終わります。
4:25 再び、アダムは妻を知った。彼女は男の子を産み、セトと名付けた。カインがアベルを殺したので、神が彼に代わる子を授け(シャト)られたからである。
4:26 セトにも男の子が生まれた。彼はその子をエノシュと名付けた。主の御名を呼び始めたのは、この時代のことである。
 「主の御名を呼び始めたのは、この時代のことである」。この言葉でこの章は終わります。主の御名を呼ぶ、とは、神さまを礼拝するということです。カインの末裔である私たちは、罪を犯すことなく生きていけるのか、というとそう断言することはできません。そういう私たちですが、日々、神さまに顔を上げ、心を向け、神さまと対話をすることで人格的な関係を築いていきたいと思います。信仰によって、主に愛され、赦されている喜び、感謝をもって、神さまを礼拝する歩みを続けていきましょう。

祈り
恵み深い私たちの主なる神さま
 あなたは、私たちと交わりを求められる方です。アベルは、神さまとの交わりを生きた人でした。そして、神さまの恵みに対する応答として献げ物をしました。しかし、カインは、神さまの恵みを知らないでいた人だったようです。カインは、罪に陥り、後になって、神さまの愛と赦しを知りました。
 私たちも、神さまの呼びかけを聞いたなら、神さまに顔を背けるのではなく、顔を向け、神さまとの交わりに生きる者でありますように。そして、神さまの愛と赦しを知り、恵みの応答に生きる者でありますように導いてください。
私たちの救い主イエス・キリストのみ名によってお祈りします。 アーメン

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